ULTRA BLUE / 宇多田ヒカル

全米デビューアルバムを挟んだこともあり日本語としてはなんと4年ぶりのアルバムで、この間に本人単独アレンジに移行した(最も古いシングルの「COLORS」のみ河野圭さんとの共同アレンジ)。殆どが本人の軽い打ち込みと僅かなキーボードのみで構成されており、生ドラムの曲は既発シングルの「Be My Last」と「Passion」くらいしかない。全米デビュー前のシングル「COLORS」「誰かの願いが叶うころ」のみ浮いているが、既発シングル曲の散漫っぷりを考えるとうまくまとめた感のあるアルバムとなっている。

前作に引き続き歌詞もガラッと変化しており、特に日本での活動を再開した後の曲に恋愛関係での苦労が見え隠れする。「Be My Last」はまだタイアップ先の映画との兼ね合いもあったと思われるが、特に今回のアルバムの実質的なタイトル曲である「BLUE」や、浮気を歌った「Making Love」、旦那との喧嘩が元になっているという「WINGS」で顕著。直接的に言及していない曲でも比較的アップテンポな「This Is Love」や「Keep Tryin'」もいまいち煮え切らず、全体的に迷いが滲み出ている。前作が結婚宣言だとしたらこれはもう……と察したリスナーも多数いたようであるが、案の定半年後に離婚を発表した。色々思う部分はあるが、少なくともこの時期でなければ作ることはできなかったアルバムであることは確かで、そういう意味では貴重な1作。

なお、この時期はセールス的には最も苦戦していたと思われる時期で、全米デビューアルバムが全く売れなかったこともあり(これ単にレコ社がマトモに宣伝してくれなかっただけだと思うけど)、日本でも地味なシングルが続いたこともあるがシングルのセールスが激減していった。「Passion」とか曲は好きなんだけど、メチャクチャ分かりにくい譜割りとか取りにくいリズムとか、そういった部分も迷いの一面として現れているのかもしれない。そんな迷いも半年後、あまりにベタな「Flavor Of Life」の大ヒットで一気に払拭されるわけだけど。

おすすめ曲

BLUE

先述の通り今作の実質的なタイトル曲で、超高音で歌われる一言一句が強烈なサビが印象的。「どんなにつらい時でさえ歌うのはなぜ?」「どんなにつらい時でさえ生きるのはなぜ?」「全然涙こぼれない ブルーになってみただけ」等の魂の叫びが連続する上、更なるトドメとして「恋愛なんてしたくない 離れてくのはなぜ?」で全てを暴露してしまう。当時の本人のインタビューでも「歌詞のどこを取っても言いたいことが言えた」とか言っていたのもありもはやフィクションでは通用せず、当時の旦那との関係が伺える、このときでしか書けなかった曲。

Making Love

遠距離恋愛になった友達からインスピレーションを受けて作った曲とのことではあるが、遠距離になった彼が違う女性とMaking Loveしているという衝撃的な歌詞が一部で有名。一応フィクションの世界の話だとは思うけど、途中の「もしもお金に困ったらできる範囲内で手を貸すよ。私の仲は 変 わ ら な い」であえてスペースを開けているところとか、色々とシャレになってない。

全米デビューアルバムではこのような直接的に性的な歌詞とか、それ言っちゃうのかよ! とか突っ込んでしまうようなものがいくつかあったが、日本語の曲でもこのあたりから面白い言い回しが増えてきた。こういうのは純粋に聴いてて楽しい。

誰かの願いが叶うころ

既発シングル曲で、ほぼピアノメインでわずかにストリングスとアコギが出てくる程度のシンプルな曲であるが、その分強烈な歌詞が目立つ。「誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ」「みんなの願いは同時には叶わない」はこのシンプルなオケでこのボーカルで歌われるからこそ際立つ名フレーズ。デビューした頃はここまで言葉を重視した曲を作ることになるとは思わなかったが、「DEEP RIVER」あたりから徐々に言葉重視になってきたことが伺える。本人の魅力が十二分に出た大名曲。

結構前の曲ということもありアルバムの中ではかなり浮くのではないかと思ったけど、前曲「Making Love」のアウトロのエフェクトおよびノイズのSEが良い感じに作用しており、違和感はかなり少ない。このあたりからアルバムとしての流れを意識するようになったようで、シングル過多かつ昔の曲が多数含まれていてもアルバムとしてまとまって聞こえるようになったのはかなり大きい(「COLORS」は明らかに浮いているけど……)。

Be My Last

こちらも既発シングル曲で、「誰かの願いが叶うころ」同様にアコギピアノとシンプルな生バンドサウンド程度のシンプルな曲に「Be my last... どうか君が Be my last...」のみのサビが強烈。「誰かの願いが叶うころ」もそうだけど、シンプルな曲に強烈な歌詞にこの憂いのあるボーカルで歌われる魅力というのはこのあたりで確立したように思う。

Exodus / Utada

宇多田ヒカルさんの全米デビューアルバム。宇多田ヒカル名義とは全く異なる作風で、全体的にミニマルなオケに所々オリエンタル要素がありキャッチーな部分もあるにはあるが日本語の曲にあったポップ要素はリード曲の「Easy Breezy」にあるくらいで他の曲には皆無。この内容で14曲という宇多田ヒカル名義含めても最長の長さであるため最後まで集中力が保たない。少なくとも「日本のポップスター」という触れ込みでデビューするにはUS基準でもあまりにマニアックな内容だったのではないかと思うが、アジア人(って言っていいのか分からないけど)の全米デビューという時点でそううまくいくはずもなく、色々と制約やしがらみもあったであろうからこの点は仕方ない。

また、英詞なので全てをしっかり把握しているわけではないが、日本語の歌詞とも傾向は異なっており、「Exodus '04」「Devil Inside」のような宗教ちっくな曲や「The Workout」「Easy Breezy」「Tippy Toe」のような性的な曲は日本語の曲にはほぼない。「Animato」や「Kremlin Dusk」も日本人が理解するには難解な内容で、このあたりは英語の文学から色々と吸収している部分なのかも。

このアルバムは発売から少々遅れて2006年頃に聴いたが、一応それなりに曲は記憶したもののあまり引っかかる曲がなくそれ以降ほぼ聴くことがなかった。この度改めて聴いてみたけど全く印象は変わらず。どうしてもレコ社の思惑や本人の思考がいまいち噛み合っていないかのようなもどかしさを感じてしまう。

おすすめ曲

Devil Inside

全体的に難解なものが多いアルバムの中では比較的分かりやすい曲で、日本でもリード曲の1つとして機能した。4つ打ちの淡々なオケの中で所々目立つギターや三味線、サビでタイトル連呼する高音部分が引っかかりポイントになっていてこのあたりは単純に聴いてて気持ちいい。アルバムで一番好きな曲。

The Workout

これまたミニマルなオケでスネアやクラップの連打が面白いくらいではあるが、歌詞が日本のリスナー全員ドン引きしたのではないかと思われるくらいに性的な内容でびっくり。というかタイトルの時点で隠す気がない。よりによってその直接的な内容を歌っているところで心拍音のSEが入るのも完全にわざと。日本の感覚だとここまで直接的な内容を歌詞にするのはそうそうないと思われるが、USだと結構あるんだろうか? 普段あまり洋楽聴かないからそこらへんは分からない。

Easy Breezy

当時DSのCMとして大量OAされており日本のリード曲として機能した。曲自体はアルバム内で最も日本人受けしやすいであろうポップなメロディにR&Bっぽい作風ではあるが、これまた歌詞の内容にびっくり。端的に言うと「すぐ欧米人と付き合いたがる日本人女性」がテーマでいくら英詞とはいえよく問題にならなかったな……という感じ。MVのあからさまな欧米人が想像するアジア人女性っぽいUtadaさんの容姿も少々引いてしまうが(本人もそんなこと言ってたような)、これ本人の意思で作られた曲なんだろうか……? 深く考えなければメロディはポップだし聞きやすいし普通にいい曲だと思う。

DEEP RIVER / 宇多田ヒカル

本人が本格的にアレンジに関わるようになった初めてのアルバムで、デビュー当初から関わっている河野圭さんの共同アレンジで全曲の編曲を担当している。その結果、デビュー当初R&B主体だった音楽性は一気にシンプルなポップス主体に変化した。一応R&Bっぽい曲も2曲ほどあるが本当に箸休めみたいな位置づけで印象は強くない。R&B一辺倒から変化した多彩なアレンジが楽しめ、特に後半ダレてきそうなあたりで「東京NIGHTS」のチェンバロや妙にザクザクしたドラムアレンジ、「A.S.A.P.」の低音がやたらと際立つストリングスサウンド、「嘘みたいなI Love You」のギターサンプリング等のアレンジが面白い曲が連続で出てくることもあり、最後まで鮮度が落ちない。これまでシングルばかり印象的なことが多かったが今回は先述したようなアレンジ面が印象的なアルバム曲や強烈な表題曲がアルバム曲として控えていることもありアルバム全体の印象は格段に上がったと思う。

また、歌詞にも明確に変化が見られ、前作のような他者との距離感や孤独を歌った曲がシングルカットの「FINAL DISTANCE」以外は皆無で(「DISTANCE」で一つの到達点に達したというのもあるかもしれないが)、恋愛を歌った曲や特定の「君」との関係を歌った曲でほぼ全曲占められており、特に「光」で顕著に出ている。この変化は何なのか当時いろんな深読みをしたリスナーがいたようではあるが、直後に突然の結婚を発表したことで呆気なく答え合わせがされた。後追いで聴けばあからさまな変化なので確かにそうだよなという感じではあるが、いずれにしても宇多田ヒカルさんは自分のためにしか歌わないということを思い知らされた。

おすすめ曲

traveling

既発シングルで大ヒットした曲で、R&B系でもなくバラードでもないシングル表題曲はこれが最初と思われる(「Movin' on without you」をどう扱うか微妙だけど)。この曲に関してはハウス系に近い4つ打ちがメインで4つ打ちビートにピッタリと合ったウラウラ主体のメロディがメチャ気持ちよくハマっている。サビでタイトルを連呼する分厚いコーラスや16分主体のメロになるあたりも曲の疾走感に寄与しており、最後まで勢いが落ちない。

Deep River

これまでシングルばかり印象的ではあったところでアルバムタイトル曲とはいえ一際強烈な印象を放つ1曲。ほとんどアコギメインで間奏で出てくるシタールが目立つくらいで曲としては本当にシンプルではあるが、それが自然や人生を歌ったスケールでかめな歌詞と本人の憂いを帯びたボーカルで歌われることによって曲自体が強烈な個性を放っている。シンプルな曲を独特のウィスパー気味なボーカルで歌われることで放たれる魔力みたいなものは特に活動再開後に強く感じるようになったが、そういった側面が出た最初の1曲かも。シングル含めてもアルバムの中で一番好きな曲。

自身の本名を使用した曲名ということもありアルバムの中では突出してパーソナルな面が強く出ていると思われる。「家族にも紹介するよ きっくうまくいくよ」とか「今日はおいしい物を食べようよ」とか「テレビ消して 私の事だけを見ていてよ」とか、こういうやたらとドメスティックな匂いを感じる歌詞は後にも散見されるが、全編このような歌詞で占められている曲はあまり記憶にない。必要以上に主張しないまったりしたアレンジもこの歌詞にはばっちりはまっており、良い意味で肩の力が抜けた名曲。

Distance / 宇多田ヒカル

前作のR&B風味な音楽性はそのままに歌詞もアレンジもパワーアップするというシンガーソングライターの2ndアルバムらしい2ndアルバムで、既発のシングル曲が多いこともあるが前作に比べると最後までしっかり聞き通せるアルバムになっている。アレンジに関してはまだまだR&B風味なものが多いが、「ドラマ」「蹴っ飛ばせ!」等の生系のドラムやギターサウンドを持つ曲もあり、それでいてアルバムとしてのバランスを崩していないというのも何気に凄いことかも。

また、歌詞の面で孤独や他者の関わり方から真っ向勝負したものが多めで、特に「Wait & See 〜リスク〜」「For You」のシングル曲や表題曲に顕著。他者に関わり方について、「1つになりたい」とか「孤独を感じる」とかのJ-POPが多かった当時において「結局、1点にはなれない」「必ず距離は生まれる」というテーマの歌詞はほとんどなかったように思う。後年まで評価されることになる歌詞の天才っぷりをまざまざと見せつけた作品で、歌詞の面で好きな曲が多いアルバム。

おすすめ曲

Wait & See 〜リスク〜

既発シングル曲で大ヒットを記録したのでおすすめ曲も何もないが、切ないメロディに孤独を歌った歌詞が強烈な1曲。と思いきや2サビ後の超高音フェイクの直後に続く歌詞が「キーが高すぎるなら下げてもいいよ」なのがとてもシュール。こういうシュールな側面は特に「ULTRA BLUE」以降に鮮明になっていくがそういった側面が現れた最初の1曲かも。

Can You Keep A Secret?

この曲も大ヒットを記録したシングルで、適度にメロウな曲に他者との距離感を綴った歌詞が印象的。やたらと連呼される曲名とかも含めて正しくヒット曲って感じ。とにかくこのあたりまでは出る曲出る曲TVで流れまくって大騒ぎしていた記憶。

DISTANCE

他者との埋められない距離感を明るいメロディで歌った曲で、同様のテーマを持つ「Wait & See 〜リスク〜」「For You」の切なさとはまた異なった角度で切り込んだ名曲。お互い分かりあえなくてもいいというスタンスは少なくともJ-POPにはあまりなかった世界観で、このあたりに欧米的な個人主義が良い意味で現れているかも。

後にバラード化してシングルカットしたけど、この歌詞を明るいメロディで歌うところに魅力的に感じるので個人的にはアルバムバージョンの方が好き。

For You

シングル曲にしてはかなり地味なサウンドではあるが、だからこそ孤独に真っ向から立ち向かった歌詞が際立つ衝撃の1曲。全文引用したいくらいに歌詞のどこを取っても重要なことしか書かれていないが、特にサビ頭の「誰かの為じゃなく自分の為にだけ優しくなれたらいいのに 一人じゃ孤独を感じられない」は宇多田ヒカルさんの全曲中でも上位に来る名フレーズ。

前述したようにシングルとしてはほとんど起伏のない淡々としたオケなのでここでミリオンを割ってしまったのは当然といえば当然か。個人的にも出た当時は両A面の「タイム・リミット」の方がメロが際立っている分好きで(こっちも相当に地味ではあるけど...)、こっちの評価がメキメキ上がってきたのは歌詞が理解できるようになってからだった。

First Love / 宇多田ヒカル

衝撃のデビューアルバム。デビューするや否やあっという間に話題になってしまい、後に藤圭子さんの娘という情報も伝わると上の層にまであっという間に伝搬した。そんな最中で出たアルバムということもあり、約750万というシングルアルバムアナログCD問わず日本で最も売れた盤となり、以降破られることがなかった。

とにかく登場そのものの衝撃や史上最高売上みたいな印象ばかり先行しているが、サウンド面でも当時のJ-POPに革命を起こしたアルバムで、当時MISIAさんくらいしかしていなかったR&B系のかっちりとした打ち込みサウンドを日本人好みのメロディに載せてしまうという、それまで小室哲哉さんがしていたことの上位互換みたいなことをあっさり実行してしまった。アルバムの大ヒットを受けて当時活動していた様々なアーティストがR&B系の曲を出したり、R&B系の新人がわんさかデビューしたりと、少なくともこの先5年くらいは音楽的にも多大な影響を残した。

そのような多大な影響を残した反面、アルバム単体の印象としては前半ばかりが強い竜頭蛇尾のイメージで、曲を進めるごとにどんどん印象が落ちていく。このあたりはリード曲や冒頭数曲だけやたらとインパクトが強い洋楽のポップスアルバムのようなイメージがある。後のアルバムに見られるような独特の歌詞や自身による打ち込み等のトピックもないため一番売れたにもかかわらず実は最も特筆するところがないアルバムで、このあたりは最初のアルバムなので当然といえば当然か。これだけのインパクトを残しておいて後に更に飛躍してしまうのは天才としか言いようがない。

おすすめ曲

Automatic

デビューシングルにしていきなり200万枚を売り上げてしまった代表曲の1つ。当時のJ-POPにはほとんどなかったR&B系のかっちりとしたサウンド、「な なかいめのベ ルで受話器を取った君」のような当時のJ-POPにはほとんどなかったような奇妙な譜割り、やたらと低い天井で歌っているMV等、全てが斬新すぎて全国民に強烈なインパクトを残してしまった。当時の衝撃を抜きにして聴くと今となってはわりと普通のJ-POPの1つであり、やはりこのあたりは当時を経験していないと衝撃が伝わらないかも。深く考えなければ今聴いても楽しい名曲の1つ。

Movin' on without you

2ndシングルにしてこのアルバムはもとより全キャリアの中でも上位に来る名曲。まさにJ-GARAGEの代表曲といっても差し支えないオシャレなサウンドで当時は前後のシングルに隠れてしまっていた印象ではあるが、後年になってとんでもない曲という評が広まったように思える。

歌詞の冷めた女の視点はとても当時15歳と思えないくらいに大人びているが、家庭が家庭ということもあり幼少期から色々と吸収していたんだろうな……。

In My Room

インパクト絶大のシングル曲に囲まれていることもあり、あまりこの曲に関する評判を見ないが前後の曲のインパクトが凄すぎるだけでこれもなかなかに味わい深い名曲。淡々としたサウンドに適度に切ないメロディーも好みではあるが、特にサビの「夢も現実も目を閉じれば同じ」「ウソもホントウも口を閉じれば同じ」は名フレーズ。デビュー当初は登場そのものの衝撃やサウンドに関する評判の方が多い印象があるが、歌詞の面でも天才であったことが分かる。

First Love

表題曲であり代表曲の1つ。USのディーヴァにありがちな打ち込み主体の壮大バラードという印象ではあるが、歌モノとしても強烈に機能しておりカラオケでも人気という、まさにアメリカ人でも日本人でもあるという長所が強く生きた名曲だと思う。

深海の街 / 松任谷由実

2020年のコロナ禍を踏まえて制作されたアルバムで、100年前のスペインかぜを取り扱った「1920」や、ノートルダム大聖堂の火災を取り扱った「ノートルダム」、別離を描いた「離れる日が来るなんて」、それでも人は会いたい想いを全面に出す「雪の道しるべ」「NIKE」といった曲が冒頭にドドンと出てくるため全体的に重たい雰囲気が漂っている。前作も重かったがここまでの印象は「時のないホテル」以来かもしれない(「時のないホテル」の方が圧倒的に暗いけど)。

00年代半ば以降はいろんなものを捨てて身軽になった感じを受けており、それがアルバムトータルでは好きだけど強烈な曲はないという印象に繋がっていたが、今回のコロナ禍という条件下で製作されたという背景もあり、00年代以降では最もメッセージ性が強く出ており、その分印象的な曲も多い。こういう状況下でも芸術性とエンターテイメント性を両立させていくのは流石プロの仕事だと感じる。

ここ数作どうしても気になってしまう声については思ったより衰えが早く、ロングトーンがほぼ出なくなってきただけでなく普通に出しているだけでも苦しそうな部分が目立ってきた。正直この調子だとまともにアルバム出せるのはあと2枚くらいではないかと思ってしまうが、曲はデビューから50年近く経過していると思えないほど打率が高いので、今後もマイペースに活動を続けてほしいと思う。

おすすめ曲

1920

ユーミンの母親が存命で100歳を迎えたことをきっかけに100年前の出来事を調べたらスペインかぜ、オリンピック等、2020年との共通項があったことから制作された楽曲。今作の中でも明確にコロナ禍を意識した曲ではあるが、世のミュージシャンがただ滅入ったりステイホーム掲げたりとそれぞれのメッセージを伝えるがいまいちピンと来なかった中、過去にもこういうことがあったと提示する姿勢は個人的には一番しっくり来た。やはりユーミンは只者ではなかった。

前作から更に衰えた声は曲のテーマや音数少ないアレンジも相まって亡霊が語りかけるかのようなおぞましい雰囲気になっており、ここに来てまだ声を活かすような曲を作ってくるかと戦慄した。このお方はどこまで挑戦し続けるんだ。

雪の道しるべ

10年くらい続いているハウス食品「北海道シチュー」のCMソングで、今までのタイアップも全て安心安定のミディアムバラードでこの曲も同様。サビ頭の4小節のメロディを繰り返すのかと思いきや1小節置いて「あなたに今 会いにゆく」と続くところが行間を読む部分として機能しており、会いたい気持ちを伝えるアプローチとして秀逸。

What to do? waa woo

アルバム全体としては箸休め的な位置付けの曲ではあるが、ほとんど変化のないループ主体のオケで曲名をひたすら連呼する部分が「Man In the Moon」を彷彿とさせることもあり印象的な曲になった。なんでも正隆さんのオケ先行で製作されたとのことで「Man In the Moon」もオケ重視なので納得といったところ。どうしても昔のような伸びやかな声は出なくなってしまい歌詞が聞き取りづらくなってしまった部分があるので、あえて歌詞を意識させないような作りはアリなのかも。

散りてなお

手嶌葵さんへの提供曲で、なんでもオーダーが「春よ、来い」を超える曲だったとか。ユーミンどころか日本を代表する曲を超える曲とか正直頭おかしいんじゃないかと思ってしまうオーダーだけど、さすがに「春よ、来い」を超えたとまでは言い難いが少なくともオーダーにしっかり応えた名曲だと思う。和楽器をさほど使っているわけでなく全体的にはピアノの綺麗な旋律が全面に出ているのに何故か和を感じてしまうというのも「春よ、来い」同様。

ちなみに原曲は本人のさらさらとした歌唱を踏まえて「さらさらと」という歌詞を入れたようで完璧にマッチしており、今のユーミンの声だとどうしても曲の魅力が表現しきれていないのではないかという感想になってしまう。逆に言うと提供曲だからこそ自分が歌うことを前提としない、固定観念に捕われない曲作りができているとも取れるのでこれからもまだまだ名曲が出てくるのではないかという期待が膨らむ。

深海の街

「脳内リゾート」をテーマに作られた曲で、リゾートミュージック路線の走りとも言える「COBALT HOUR」や「中央フリーウェイ」の次の曲ですと言われても全く違和感のないオシャレなシティポップ。豪華な演奏と、こんなに豪華なのに必要以上にギラギラしていない余裕っぷりが荒井時代を彷彿とさせ、かなり好感触の楽曲になった。同じメロで長調短調を繰り返すサビも最高に気持ち良い。

宇宙図書館 / 松任谷由実

タイトルは「これまでの記憶が全て図書館のようにしまわれておりそれが今の自分に繋がっている」という想いを表したもののようで、過去から度々出てくるスピリチュアルな側面が出たアルバムとなっている。確かに、もう会えない人を歌った表題曲や会いたい想いを歌った「残火」の2曲が冒頭に出てくるためにやや構えてしまうところはあるが、3曲目以降はいつも通り安心安定の曲が並んでおり(チープな打ち込み全開の「星になったふたり」と露骨にジャズな「月までひとっ飛び」だけ異端だけど)、そこまで全体的にスピリチュアル全開というわけではない。正直なところこれまで以上に印象的な曲が少なくなってしまったように思えるが、冒頭2曲があまりに名曲すぎてそれだけでお釣りが来るので相変わらず満足度は高い。

おすすめ曲

宇宙図書館

1曲目からここまでスローな曲は「悲しいほどお天気」収録の「ジャコビニ彗星の日」以来な気がするが、1曲目に置くだけのことはある渾身の1曲。もう会うことのできない「あなた」の記憶が夢の中で蘇るという内容で、「あなた」はもうこの世にいないように思われる。ただ、もう会うことができないと思われる理由が明確になく、幅広く受け取れる内容になっている。このあたりのさじ加減はやっぱり流石だなぁと思う。

残火

時代劇の映画のテーマ曲となったこともあり勇ましい印象が先行する、今作でダントツに派手な1曲。サビの美メロに合わせて「いつか きみと会いたい」と老いた声で叫ぶように歌うこともあり、もう届かない想いを歌っているかのように聴こえ、切ない気持ちになる。意図的だとしたら相当凄いが、これまでの計算され尽くしっぷりから考えると意図的なんだろうな……。近作あまりなかった強めのバンドサウンドもばっちりはまっており、ここ最近では自信を持ってオススメできる名曲。

GREY

3曲目以降はアルバムトータルとしてはいいけどこれと言う1曲が「紅雀」以上になく悩ましいところだが、強いて挙げるとこれ。「雨音はショパンの調べ」(この曲も日本語詞はユーミン)で有名な小林麻美さんへの提供曲のセルフカバーで、ドラムレスでシンプルな、全く主張しないアレンジが曲名と上手くマッチしている。1987年の曲らしいけど確かにアルバムの雰囲気と合っており、聴いた後にまたアルバム1周したい気分にさせられる。このタイミングでのセルフカバーも納得。